KOSTA JAPAN 2015感謝会

こんにちは!最近ようやく涼しくなってきましたね。

今月は、8月11日から14日に、長野県の伊那市スキーリゾートで行なわれたKOSTA JAPANに参加してきました(^^)/

他の教会の兄弟姉妹達との交わりや、大人数での力強い賛美、また日本だけでなく、韓国・アメリカなど各地から来られた先生方の講義を通して、大変恵まれた時間となりました!

選択講義もあったため、キャンプ後はそれぞれの講義の感想を話し合い、分かち合いをし、ざっくりですが幾つかの内容をまとめてみたので、半年後のYouth Campや来年のKOSTAに向けて参考になるかと思いますので、ぜひご覧ください*^-^*)

★開会礼拝:中台孝雄先生(西船橋キリスト教会担任牧師。JEA日本福音同盟理事長)

28この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「乾く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。29そこには、酸いぶどう酒をいっぱい含ませた海面をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。30イエスは、このぶどう酒を受け取ると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。(ヨハネによる福音書19:28~30)

今回のキャンプのタイトルでもある”Back to the Gospel”。

その”Gospel”、福音とは何かということについて、1.”事実”、2.”決断”、3.”感謝”の3つのポイントに分けて、分かりやすく伝えて下さいました。

  1. 1つ目の”事実” はイエス様が私たちを救うためにこの世に来られ、私たちの代わりに犠牲となって十字架で死なれたことで私たちが救われた、という事実です。私たちの救いの土台は、神様が私たちのためにしてくださった ”確かな土台” に基いており、決して私たちの行動の結果ではない、ということを主張しています。
  2. 2つ目の”決断”は、”信仰は知識と信頼によるもの”ということと、”罪の悔い改めと、その罪から逃れようと決心すること”です。
  3. 3つ目の”感謝”は、信じた後の信仰生活で表されるものです。行動の結果が救いの条件ではありませんが、行動が伴わなければ、神様との関係がギスギスしたものになってしまいます。信仰生活は、主への感謝によって成り立つものであるため、全てを与えてくださった主にいつも感謝を伝え、主に喜ばれるような信仰生活を心掛ける必要があります。

★1日目特別講義:安 約ハン(アン ヨハン)先生 (セピッ福祉財団理事長)

9どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。そうでなければ、この数多いあなたの民を裁くことが誰にできましょう。」10主はソロモンのこの願いをお喜びになった。11神はこう言われた。「あなたは自分のために長寿を求めず、富を求めず、また敵の命も求めることなく、訴えを正しく訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。12見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。あなたの先にも後にもあなたに並ぶ者はいない。13私はまた、あなたの求めなかったもの、富と栄光も与える。生涯にわたってあなたと肩を並べうる王は一人もいない。《列王記上 3:9~13》

しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証するという任務を果たすことができさえすれば、この命すら惜しいとは思いません。《使徒言行録20:24》

“ある日突然、私は目が見えなくなりました。どの病院でも原因不明、治せないと言われ、障害者に大変厳しい韓国の社会から、また家族からも見放され、人生に絶望していました。それでも切なる心で主を求め、祈るうちに、主は答えをくださり、天国と、そこで私の住む家なども見せて下さったことで、なんとか希望が見えるようになりました。その時に主は、「旧約聖書320ページの箇所があなたのものだ」と言われました。

私はあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、あなたの主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。《ヨシュア記1:9》

それを聞いた時私は、主は生きて、私の存在価値を認めてくださったのだと確信しました。

人間はみな同じですが、人生は違います。旧約聖書に登場するサウル王は、裕福な家庭で生まれ、生来にして取得が難しいとされるローマに市民権を持っており、また頭も良く、すべてを持っていましたが、結果誰よりも高慢になったため、自滅の道を歩みました。

しかしそのサウルはのちに回心し、彼の中にあったそれまでの価値観を変え、ひたすら福音を述べ伝えるようになりました。十字架を見るたびに涙が溢れるほどになったのです。そのようなサウルが残した言葉があります。

「7しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。8そればかりか、わたしの主、キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失と見ています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。」《フィリピ信徒への手紙 3:7~8》

これこそが十字架の愛を知ったものの言葉です。

また、“知識”と”知恵”の違いとはなんでしょうか。知識は、学んでいること、知恵は、御言葉を悟り、人生、体験の中で得られるものです。主の知恵があれば、どんなこともすべて全うできます。多くの人が思い悩む結婚や就職、その他あらゆることが上手くいき、力強く生きることができるのです。

1912年、英国のプライドの象徴であった豪華客船、タイタニック号が氷山に衝突し、沈没しました。発見された時、船上からはごくわずかな氷山に見えたため、難なく避けることができると判断されましたが、実は水の上に出ていたのは氷山の1/10でしかなかったのです。人が見ることができたのが、わずか1/10、後の9/10は水中でした。このことは私たちの人生についても同じことが言えます。私たちにわかることはほんの僅かです。この9/10を見つけるために私たちは日々祈り、御言葉を読んでいくのはないでしょうか。“

世の人の目には価値がないように思われても、主の目には違います。私たち一人一人に素晴らしい主のご計画があり、どんな人も愛してくださいます。そしてその計画の中には、私たちの理解しがたいようなことも起こり得ます。ただ確かなのは、主はどんな時も私たちと共にいて下さり、必要なものは全て与え、先には素晴らしい計画を用意してくださっているということです。そして主だけがすべてを知っておられるのです。私たちがすべきことは、ただ主を信じ、主だけを見上げ、謙遜な心で、主に喜ばれる人生を生きていくことではないでしょうか。

★2日目セミナーB:李 ソンイル先生(蔚山ソマン整形外科院長)

この講義では、クリスチャンらしい生き方・クリスチャンが心がけるべき清さについて、お話しされました。

まず1つ目の清さ、”区別。違い、差異”

  • 例えば 言葉遣い。聖書の言葉をなるべく使うようにする。(死にたい、疲れた、心が痛い、ではなく)
  • 優先順位の違い。時間の使い方や自分のやりたいことよりも、礼拝や祈り、教会での奉仕を優先するなど。

医者はお金が好きだといわれますが、先生はそれを諦めて医療宣教師として励みました。そのように生きようと頑張る中で、患者から尊敬されるようになったのです。

2つ目の清さは、“純粋、正直、清さ”です。

主の前で純粋に、正直に生きることです。私たちがひとりでいる時も、主は常に私たちを見ておられます。悪いことをしている時もそうですが、反対に良い行いをすればそれも主はご覧になり、喜んでくださいます。主の前で純粋に、正直に生きるのは簡単ではないですが、そのことをいつも心に留めて生きる私たちとなりましょう。

3つ目の清さは、“充実した生活”です。

  • 御言葉を行うこと。 信じると言いながら、それを行わない私たちであってはいけません。
  • プランを立て、時間を無駄にしないこと。1日を25時間と考えて生活することを先生は薦めています。忙しい人生は軽薄な人生です。きちんと、価値・優先順位を置いて生活していくことが大切です。

先生もTVを見ることが大好きだったそうですが、あまりに時間の無駄が多く、1日30分、つまり一番良いところでTVを消す習慣をつけることにしました。初めのうちは辛いものですが、続けていくうちに必ずその習慣は自分のものになります。良い習慣を心掛け、身に着けていきましょう。

4つ目:光彩、表情、顔色

先生は、「イエス様を信じる人はすぐわかる」と言われます。顔の輝き、行動や振る舞いからそれが現れるのです。「あなたはクリスチャンではないですか?」と今までに言われたことのある方は幸いです。反対に、「あなたがクリスチャンだなんて!そんなふうに見えませんね。」と言われてしまったことがあるなら、十字架を付けるようにするのはどうでしょうか。先生は実際にそのように言われたことがあり、それからは誰から見てもクリスチャンとわかるように大きな木製の十字架をつけていらっしゃいます。

時々、人にクリスチャンだと思われるのが恥ずかしい、外で聖書勉強すると人目が気になる、という人がいます。でもそんな虚しい考えは捨てるべきです。人に知られるのが嫌だと思う人は、神様に対して敵対す心、高慢さがあります。私たちはクリスチャンであることに誇りを持ち、顔色であれ、ネックレスであれ、自分の体に痕跡を残すべきなのです。

5つ目の清さは、”品性、態度、善良なる心”です。

クリスチャンは、善なる心を持ち、洗練された態度でなければなりません。神様に対して、自分を低くする心でいる必要があります。

よく、「いえいえ、私なんて…」「私にはとてもできません」と言う人が謙遜な人だと言われます。ですが、本当の謙遜とはなんでしょうか。

実力がなくて態度が低いのは、それは謙遜ではなくただの事実であり、怠け者です。その人は実力をつけるためにもっと努力する必要があります。謙遜な人は、実力があっても自分を低くすることができます。

また、本当に謙遜な人は「主が力を与えてくださいます」と言うことができます。クリスチャンは皆、そのように生きていくべきなんです。

6つ目、最後の清さは”福音を述べ伝える”です。

これは、私たちすべてのクリスチャンに課せられた使命ですね。福音をよく聞き、良く伝えることで私たちは、より清いものとなり、何よりも種に喜ばれる者となるのです。

 

タイトルとURLをコピーしました