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長谷川理恵 伝道師の証

図2こんにちは!

私は三鷹栄光キリスト教会で伝道師をしている長谷川理恵と申します。 私は、2004年、新入社員として人材派遣会社に入社しました。そこで、同じ新入社員としてクリスチャンの子と親しくなりました。 私はそれまで、聖書やキリスト教の信仰には無関心に生きていました。でも、友達がクリスチャンであると知り、また、教会の礼拝にも誘われ一緒に行ったことをきっかけに少しずつ興味を持つようになりました。 でも、自分がクリスチャンになるとは、全く考えもしませんでした。 社会人として仕事をする中で、私は初めて人間関係でつまずきました。 職場の人間関係のストレスで、会社に行きたくなくなりましたが、クリスチャンの友達が私に聖書の言葉で、一生懸命励ましてくれました。 しかし、その友達と部署が離れ、今まで近くで支えてくれた友達がいなくなり、私は孤独を感じ、とてもつらくなりました。 そんな時に、ある聖書の言葉が思い出されました。 それが、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイ11:28)という言葉でした。 目には見えないけど、本当に神様がいるなら、私は頼りたい。 もし神様がいるなら、神様は私のことを理解して、助けてくれるんじゃないか。そのように思いました。すると、その時に心の奥から不思議な「平安」が与えられたのです。神様が助けてくれるならなんとかなるだろう、、、という希望の光がわたしの真っ暗な心を照らしてくれたのです。 クリスチャンの友人がよく「聖書の言葉って本当に力があるよ」と言っていましたが、本当にその通りでした。聖書の言葉ってすごいと感動し、本当に神様はいるんだと思えるようになりました。 そして、毎週礼拝に行くようになり、聖書勉強をする中で、人間には罪があることを学びました。 最初は、自分には悪いところはあるが、罪人ではないという思いがありました。 しかし、自分の人間関係について考えた時に、自分は自分の都合の良い人とだけ付き合おうとしている事に気づきました。自分が楽しい、自分が成長できそうな相手とは仲良くしますが、そうでなければ連絡をすることもありませんでした。 それは、とても自己中心的な関係性であったことに気づき、自分の中にある「自分が良ければよい」という自己中心の罪に気づきました。 聖書を通して、他にも多くの罪を知りました。行いだけでなく、心にある罪も知りました。 そして、その罪のせいで人は苦しみ、罪のせいで神様との関係が断絶していること、 しかし、イエス・キリストが私を愛し、その十字架の死によって私の罪の罰をその身に受け、神様との断絶された関係に橋渡しをし、私と神様の関係を回復させてくださったこと、復活し、天国を約束してくださったこと、聖書で言う「福音(良い知らせ)」を学び、それを信じ、受け入れました。 受け入れた後は、神様に愛されている喜びが少しずつ感じられ、聖書を読むことが楽しく、礼拝に行くことが楽しみになりました。 自分の中にある不安や、変わりたいと思うところは全て祈りを通して神様に求めるようになり、心がとても平安になりました。 世の中にも、いろいろな問題解決の方法が書かれた本がありますが、その根本的な原因を解決し、私を新しくつくりかえてくれるのが、「聖書」です。 日本は、この世界のベストセラー「聖書」を読む人がとても少ないです。私もクリスチャンの友達に会うまでは、ほとんど読んだことがありませんでした。 しかし、聖書は私達の人生を変えてくれる本です。 是非、「聖書」を手にし、この素晴らしい「福音」に触れてみてください。 私も、三鷹地域で福音の種をまき、多くの方が少しでも早くイエス様と出会えるよう祈っています。 私は、2004年、新入社員として人材派遣会社に入社しました。そこで、同じ新入社員としてクリスチャンの子と親しくなりました。 私はそれまで、聖書やキリスト教の信仰には無関心に生きていました。でも、友達がクリスチャンであると知り、また、教会の礼拝にも誘われ一緒に行ったことをきっかけに少しずつ興味を持つようになりました。 でも、自分がクリスチャンになるとは、全く考えもしませんでした。 社会人として仕事をする中で、私は初めて人間関係でつまずきました。 職場の人間関係のストレスで、会社に行きたくなくなりましたが、クリスチャンの友達が私に聖書の言葉で、一生懸命励ましてくれました。 しかし、その友達と部署が離れ、今まで近くで支えてくれた友達がいなくなり、私は孤独を感じ、とてもつらくなりました。 そんな時に、ある聖書の言葉が思い出されました。 それが、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイ11:28)という言葉でした。 目には見えないけど、本当に神様がいるなら、私は頼りたい。 もし神様がいるなら、神様は私のことを理解して、助けてくれるんじゃないか。そのように思いました。すると、その時に心の奥から不思議な「平安」が与えられたのです。神様が助けてくれるならなんとかなるだろう、、、という希望の光がわたしの真っ暗な心を照らしてくれたのです。 クリスチャンの友人がよく「聖書の言葉って本当に力があるよ」と言っていましたが、本当にその通りでした。聖書の言葉ってすごいと感動し、本当に神様はいるんだと思えるようになりました。 そして、毎週礼拝に行くようになり、聖書勉強をする中で、人間には罪があることを学びました。 最初は、自分には悪いところはあるが、罪人ではないという思いがありました。 しかし、自分の人間関係について考えた時に、自分は自分の都合の良い人とだけ付き合おうとしている事に気づきました。自分が楽しい、自分が成長できそうな相手とは仲良くしますが、そうでなければ連絡をすることもありませんでした。 それは、とても自己中心的な関係性であったことに気づき、自分の中にある「自分が良ければよい」という自己中心の罪に気づきました。 聖書を通して、他にも多くの罪を知りました。行いだけでなく、心にある罪も知りました。 そして、その罪のせいで人は苦しみ、罪のせいで神様との関係が断絶していること、 しかし、イエス・キリストが私を愛し、その十字架の死によって私の罪の罰をその身に受け、神様との断絶された関係に橋渡しをし、私と神様の関係を回復させてくださったこと、復活し、天国を約束してくださったこと、聖書で言う「福音(良い知らせ)」を学び、それを信じ、受け入れました。 受け入れた後は、神様に愛されている喜びが少しずつ感じられ、聖書を読むことが楽しく、礼拝に行くことが楽しみになりました。 自分の中にある不安や、変わりたいと思うところは全て祈りを通して神様に求めるようになり、心がとても平安になりました。 世の中にも、いろいろな問題解決の方法が書かれた本がありますが、その根本的な原因を解決し、私を新しくつくりかえてくれるのが、「聖書」です。 日本は、この世界のベストセラー「聖書」を読む人がとても少ないです。私もクリスチャンの友達に会うまでは、ほとんど読んだことがありませんでした。 しかし、聖書は私達の人生を変えてくれる本です。 是非、「聖書」を手にし、この素晴らしい「福音」に触れてみてください。 私も、三鷹地域で福音の種をまき、多くの方が少しでも早くイエス様と出会えるよう祈っています。