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兄弟の証①

今日このように証の機会を与えて下さった主に感謝します.

イエス・キリストと出会うまでは私は,大多数のベトナム人と同じように,仏様や,先祖様を拝み,信じていました.

お母さんは家計が困難な時期に私をお寺に売ってしまいました.最悪飢饉が起こって家に食べ物がなくなっても私はお寺の坊主ですから,お寺のご飯は食べれるのです.そのためお寺に行くたびにお母さんは石像を指差し,「あのひとはお前の祖父だからちゃんと拝んで」といいました.

住んでいた地域では仏教の考え方が根強く,他の考え方に接したことがなかったため,仏教の考えがそのまま私の考え方になりました.例えば,善悪応報するや,仏様は良い人を助けるのだなどです.そしてお金や名誉だけでは本当の満足は得られなく,人生の本当の意味,人生の掟について考え,守らなければならない.すべての欲求も自我も捨て,無になること,大人になるにつれ,仏教の意識体型が形作られていました.

 

ここで神様は私を日本へ導こうとしてくださいました.今の私から見ればそこそこ勉強もできて大学受験も受かったし,常識も道徳感覚も鈍くはなかったので,ほっておけばちゃんと大人になるでしょうと思います.しかし神様の恵みはとても豊かであります.

2010年の高校2年生のときに,おじさんから日本への留学の準備をしてくださいと言われました.今ですと海外留学なんてエベレスト登山のようなものですが,当時私の気持ちはこうでした.「日本留学?友達に自慢できそうじゃん,よっしゃ~.行きましょう」.

おじさんの説明では,志のある学生だけを選別し,安い授業料でベトナムで日本語を教え込み,留学させる日本語学校がある.入学試験に合格すればおまりお金がかからずに留学でき,留学後のサポートも充実に受けることができます.日本での大変さを説教され,家族の真剣な顔つきで友達に自慢しようという軽い気持ちは吹き飛んでいました.途中で諦めたい気持ちもありましたが,ここまで来たら流れについていくしかないと思い,真剣に試験を受けてみると受かってしまいました.

そこから半年間の間,軍隊のような学校で体も精神も日本語も鍛えられ,2011年3月来日しました.

日本では新聞配達アルバイトをしながら日本語学校に行きました.日本での大変さは留学する前に毎日叩き込まれていました.日本人はこうですからお前もこうしなきゃいけない,遅刻してはだめ,ベトナムでバイクを運転したように日本で運転してはだめ.お金を差し出しも,許してもらえないからです.頭でわかっていましたが来てみると本当に大変でした.ちんぷんかんぷんの日本語で運転免許を取得した後,夜はアルバイト,昼は勉強,寝るは4時間でした.ルールがわからなかったり,ベトナム風の運転技術で免許停止になってバイトできなくなったこともありました.当時はおまわりさんには顔がとても広かったですね.ベイト先での人間関係もそこで崩れ,こんなに仕事ができない人はいらないといった人,励ましてくれた人もいましたが,やはりバイトで失敗ばかりしてしまうと人生をも投げ捨てしたくなります.

しかし,神様は日本語の賜物を与えてくださいました.ベトナムの日本語学校から成績優秀であった勢いで,日本に来ても勉強では失敗しませんでした.学校での成績が表彰され,大学への進学も希望校は全部受かりました.

大学への進学も神様の不思議な導きがありました.名古屋工業大学と東京農工大学どこで勉強すればいいか迷っていました.名古屋工業大学ではベトナム人共同体もあるし,学校ランキングは農工大より上だし,東京ではない?ですし,とにかく気持ちは名古屋に傾いているときに私は農工大を選びました.このことで就職のときに学校を選んだ理由としてとても困りました.

しかし農工大で学部1年生のときに門野先生と出会いました.一人で昼ごたんを食べている私に声をかけ,食事に誘ってくださいました.弥生先生と門野先生のような日本人は初めて会いましたので心が惹かれました.優しい感じで親切ですし,他の日本人と違って私の日本語がわからなくても辛抱強く接してくださいました.それまで私の日本人との関係はことごとく失敗していました.大学の友達のいじめ対象でアルバイトは店長とのトラブルで転々としていました.しかし,門野先生と話すたびに心が落ち着き,不思議に平安を感じていました.

そして聖書勉強や主日礼拝に参加しますが,江戸時代の日本人にパソコンを見せるようなものです.私は生まれて初めてキリストという文字を教会で見て,十字架と福音に出会いました.その感動は「目が見たことのないもの,耳が聞いたことのないもの,そして人の心に思い浮かんだことのないもの.神を愛するもののために,神の備えてくださったものは,みなそうである」(コリント人への手紙第一2:9)と聖書にある言葉で表現できます.

8月から聖書勉強,9月にコスタを経て,12月に洗礼を受けました.洗礼を受けるまでまるで主が塗装した道路を走っていたかのように,少しも抵抗がなく素直でした.

そこから主イエス・キリストと毎日歩む人生が始まりました.私は貪るようにインターネットや本屋で聖書を自分自身で勉強しました.ホセア書6:3には「我々は主を知ろう.主を知ることを追い求めよう.主は曙の光のように必ず現れ,降り注ぐ雨のように,大地を潤す春雨のように,我々を訪ねてくださる」(ホセア6:3)とあるように,一週間1回の聖書勉強だけではとても足りないと感じました.主を知ることとは愛を知ること,主を追い求めるに従い,主がご自身を表してくださり,私の人格は憎しみや投げ捨て態度から愛へ変わりました.今周りからクエン君優しいねと言われていますが,すべてイエス・キリストのなした業です.

優しいだけでは就職活動はうまくいかないので,主は私にビジョンを与えてくださいました.それは「いと高きところには栄光,神にあれ.地には平和,御心に適うひとにあれ」のように,イエス・キリストの十字架を見習うこと,人々を愛し,主から受けた愛を述べ伝え,地上に真の平和を築くことです.就職活動がうまくいき,就職先が恵みのゆえに決まりました.今後私は主から受けたビジョンを仕事を通して,伝導を通して,残りの人生を通して実践していきます.

どうか主の御国がきますように祈ります.

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